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2008年11月06日
寂しい「お客様」 - 分断された生産者と消費者
[ 投稿者 : fratdrive ブログ : [ f ]ふらっとどらいぶログ カテゴリー : fratdrive日記 ]
「お客様」って、なんだろう。
最近、ときどき思う。
昨日、近所の「くら寿司」に行ってひとりで昼飯を食べた。体調が悪いときには寿司(というか寿司めし?)を食べたくなる。食べていて、おしぼりが欲しくなったのだけど見当たらないので、店員に聞くと、「お客様、大変申し訳ありませんでした」と丁寧な態度で持ってきてもらった。なんだかこちらのほうが申し訳ない気分になった。ふと目をやった先に、「おしぼりは冷水機のそばに置いてあります」と書かれていた。いっそう、申し訳ない気分になった。
こないだ、100均でアロマオイルを買った。加湿器に使うので。レモンの香りとか、集中力を高めるのに効くから、仕事の効率化をはかるのに使っている。あれこれ工夫をしないと持続しないんだ、もう歳だから。
で、3本買って帰ってきたら、そのうちの1本、ジャスミンが漏れていて、レジ袋の中がアロマオイルで浸っていた。
…く、くさい!
たぶん、前に手にとった客が、ジャスミンの匂いをかぐために開けてしまい、きちんと締めずに戻したのだろう。
通常はクレームものだ。持っていけば交換にも応じてくれるだろう。
でも、やめた。ぼくも、フタがちゃんとしまっているかどうか確認をしなかったから、過失がある。
そう思うことにした。
それに、もったいないし。エコだとか地球にやさしくだとかいいながらも一方では大量の製品回収、たしかに健康被害を考えればやむをえないこともあるのだろうけど、気分的にはもううんざりだ。
ぼくらはそんなに偉いのか。ぼくらはそんなに大事にされるべき存在なのか。行き過ぎた消費者保護という側面はないのか。…なんてことを感じてしまったりもする。
数年前、とある出来事で、あるお店からクレーマー扱いをされたことがある。「あんたみたいなのをクレーマーというんだよ」とか罵倒されたということではなくむしろその逆で、わざわざお詫びの商品を持ってきていただいたのだが、あの手厚い対応、手厚すぎる対応は、店側が、ぼくをクレーマーだと思っていたのだと思う。なんだかいたたまれない気分になったことをいまでも覚えている。ひとりの消費者として、クレーマーにはなりたくないし、クレーマー扱いをされたくはない。言うべきことは言うにしても。
ぼくらは分断されているのではないだろうか。生産者と、消費者に。おなじ1人の人間であっても、2つに切り裂かれているのではないだろうか。「お客様」と、「切り捨て御免」って、わりかし似てないだろうか。お客様という、生産者の肉声の届かないどこか遠い所に隔離されて、寂しいのではないだろうか。ぼくらは「お客様」という記号、集合体の1個体ではなく、できればぼくというアイデンティティを持った実体として、もしくはせめて「お客さん」として、接されたいのではないだろうか。寂しさが、クレーマーだとか暴走老人だとかモンスターペアレンツだとかを生み出しているのではないだろうか。
だって、ぼくはなじみのお店では「お客様」なんて言われてないから。そこでは客はみんな「お客さん」だから。ぼくも、お店のひとを「おじさん」「おばさん」って呼んでるし。
ぼくらが(大量消費社会が?それともグローバリズムが?)これまで徹底的に破壊してきたものは、こういう関係なのではないだろうか。で、代わりにイオンが集客して中世化が進行、そこにオバマ氏の圧勝。
まずは…「お客様という裸の王様」から逃げ出すことから、かな?
■関連記事:
嘘で固めたインターネットと消費者の暴動 - 『情報崩壊バブルの崩壊』(山本一郎)
ある魚屋さんの閉店(通りすがりではない消費者)
中世ヨーロッパのような城塞都市化する日本社会
オバマ氏の大勝〜僕らは敵か味方か(21世紀的価値観)
⇒この記事をふくむカテゴリー [ fratdrive日記 ] もどうぞ。
「お客様」って、なんだろう。
最近、ときどき思う。
昨日、近所の「くら寿司」に行ってひとりで昼飯を食べた。体調が悪いときには寿司(というか寿司めし?)を食べたくなる。食べていて、おしぼりが欲しくなったのだけど見当たらないので、店員に聞くと、「お客様、大変申し訳ありませんでした」と丁寧な態度で持ってきてもらった。なんだかこちらのほうが申し訳ない気分になった。ふと目をやった先に、「おしぼりは冷水機のそばに置いてあります」と書かれていた。いっそう、申し訳ない気分になった。
こないだ、100均でアロマオイルを買った。加湿器に使うので。レモンの香りとか、集中力を高めるのに効くから、仕事の効率化をはかるのに使っている。あれこれ工夫をしないと持続しないんだ、もう歳だから。
で、3本買って帰ってきたら、そのうちの1本、ジャスミンが漏れていて、レジ袋の中がアロマオイルで浸っていた。
…く、くさい!
たぶん、前に手にとった客が、ジャスミンの匂いをかぐために開けてしまい、きちんと締めずに戻したのだろう。
通常はクレームものだ。持っていけば交換にも応じてくれるだろう。
でも、やめた。ぼくも、フタがちゃんとしまっているかどうか確認をしなかったから、過失がある。
そう思うことにした。
それに、もったいないし。エコだとか地球にやさしくだとかいいながらも一方では大量の製品回収、たしかに健康被害を考えればやむをえないこともあるのだろうけど、気分的にはもううんざりだ。
ぼくらはそんなに偉いのか。ぼくらはそんなに大事にされるべき存在なのか。行き過ぎた消費者保護という側面はないのか。…なんてことを感じてしまったりもする。
数年前、とある出来事で、あるお店からクレーマー扱いをされたことがある。「あんたみたいなのをクレーマーというんだよ」とか罵倒されたということではなくむしろその逆で、わざわざお詫びの商品を持ってきていただいたのだが、あの手厚い対応、手厚すぎる対応は、店側が、ぼくをクレーマーだと思っていたのだと思う。なんだかいたたまれない気分になったことをいまでも覚えている。ひとりの消費者として、クレーマーにはなりたくないし、クレーマー扱いをされたくはない。言うべきことは言うにしても。
ぼくらは分断されているのではないだろうか。生産者と、消費者に。おなじ1人の人間であっても、2つに切り裂かれているのではないだろうか。「お客様」と、「切り捨て御免」って、わりかし似てないだろうか。お客様という、生産者の肉声の届かないどこか遠い所に隔離されて、寂しいのではないだろうか。ぼくらは「お客様」という記号、集合体の1個体ではなく、できればぼくというアイデンティティを持った実体として、もしくはせめて「お客さん」として、接されたいのではないだろうか。寂しさが、クレーマーだとか暴走老人だとかモンスターペアレンツだとかを生み出しているのではないだろうか。
何年か前から病院では「患者様」という呼称が厚労省の行政指導で導入された。内田教授は続けて「「様」と呼ばれると、とたんに増長して、自分が偉くなったような気になり」と書いているけど、ぼくは違うんじゃないかと思う。
そのあとどういうことが起きたか。
ある大学病院の看護部長からうかがった話である。
「患者様」という呼称が義務づけられてから、
(1) ナースに対する暴言が激増した。
(2) 無断外出、院内での飲酒など患者たちの院内規則違反が激増した。
(3) 入院費を払わない患者が激増した。
そのようにして「医療崩壊」に拍車がかかった。
〜「著者様」と呼ばれて - 内田樹の研究室
だって、ぼくはなじみのお店では「お客様」なんて言われてないから。そこでは客はみんな「お客さん」だから。ぼくも、お店のひとを「おじさん」「おばさん」って呼んでるし。
ぼくらが(大量消費社会が?それともグローバリズムが?)これまで徹底的に破壊してきたものは、こういう関係なのではないだろうか。で、代わりにイオンが集客して中世化が進行、そこにオバマ氏の圧勝。
まずは…「お客様という裸の王様」から逃げ出すことから、かな?
■関連記事:
嘘で固めたインターネットと消費者の暴動 - 『情報崩壊バブルの崩壊』(山本一郎)
ある魚屋さんの閉店(通りすがりではない消費者)
中世ヨーロッパのような城塞都市化する日本社会
オバマ氏の大勝〜僕らは敵か味方か(21世紀的価値観)
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at 11:44:32 |
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イオンが赤字に転落する理由 - [ f ]ふらっとどらいぶログ
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コメント
接客サービスということですが。
サービスというのは、サーバント=奴隷という言葉から生まれたという説があります。
ここに、明らかな階層差というか越えられないものがある。
それに対して、ホスピタリティは、お客と対等な立場でしか成立しないそうで。
ホスピタリティの語源は、ホスピスとかと同じで、旅人をもてなすことで。
今ほど旅が安全でなかった時代に、旅人から他国の情報を得ると同時に、自国の情報を伝えたり、旅人が休めるようにしたというところから発生したようで。
主が客を迎い入れるという所から始まっているようです。
したがって、ホスピタリティの場合、場を守るために、一見さんお断りの京都の料亭のように、招かざる客は追い出してかまわない。
今のサービス業の多くは、ホスピタリティというキーワードのもとに、サーバントに徹しているという矛盾をはらんでいる。
だからこそ、いくらサービスを良くしても、客との距離が埋まらないのではないのでしょうか。
サービスというのは、サーバント=奴隷という言葉から生まれたという説があります。
ここに、明らかな階層差というか越えられないものがある。
それに対して、ホスピタリティは、お客と対等な立場でしか成立しないそうで。
ホスピタリティの語源は、ホスピスとかと同じで、旅人をもてなすことで。
今ほど旅が安全でなかった時代に、旅人から他国の情報を得ると同時に、自国の情報を伝えたり、旅人が休めるようにしたというところから発生したようで。
主が客を迎い入れるという所から始まっているようです。
したがって、ホスピタリティの場合、場を守るために、一見さんお断りの京都の料亭のように、招かざる客は追い出してかまわない。
今のサービス業の多くは、ホスピタリティというキーワードのもとに、サーバントに徹しているという矛盾をはらんでいる。
だからこそ、いくらサービスを良くしても、客との距離が埋まらないのではないのでしょうか。
サービス業だけじゃなくて、製造業、学校や病院…、メディアも同様の構図ではないでしょうか。また、それは商品やサービスや情報の提供側だけに帰すべきことでもなく、客もまた、この悪循環の“共犯”ではないか、そう思っています。



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