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2010年09月20日

広告社会から寄付社会へ

[ 投稿者 : fratdrive ブログ : [ f ]ふらっとどらいぶログ カテゴリー : fratdrive日記 ]

折につけてショッピングセンターのイオンについて書いてきた(末尾にリストあり)。それだけ、僕にとっては象徴的な存在なんだろうと思う。

イオンの「にぎやかな大通り」を歩いてて思う。きらびやかな華やかなここのコストを負担しているのは誰なのか。田舎に立地していれば土地代は安く済むけど、(巨大な駐車場つきの)このでかいハコを建て、内装を仕上げ、快適な空調、トイレ、ひと休みのベンチ…を維持するコストは誰が負担しているのか。ここが公共空間であればそれは自治体とかだけど、ここはイオンの私空間。

それは最終的には僕らが負担してるんだよね。

たぶん、用もないのにチラシにひかれて出かけて、買わなくてもいいものを買い、食べなくてもいいものを食べるという、余計な支出、余計な消費行動をすることで、ぼくらはイオンを支えている。
アトム化した消費者となり一見、選択の自由を獲得したかに見える僕らだけど、イオンに余計な時間を費やされ、余計な支出を強いられている。…これがぼくらの自発的行動なんだ。

この構造をさらに広げて考えてみる。広告。企業は広告宣伝にハンパない金を使っている。それによってメディアは生きている。民放テレビ番組などはほぼ100%が広告収入だ(※民放番組にとって本当のお客さんは広告主であって視聴者ではない)。ぼくらは自発意志によってテレビを観、新聞雑誌を読み、広告にひきずられるように消費行動を喚起されている。

ふだんぼくらは「安さ」に敏感に反応し、新聞折込チラシを見比べて安いスーパーに走ったりするわけだけど、そもそも広告によって下支えされた消費社会、上げ底になってるよね?
広告をなくしたら、余計なコストが消滅する。商品やサービスの価格に実質上乗せされていた広告費分がなくなるので低価格になるし、余計な支出、余計な時間を消費しなくてすむので、あくせく働かなくてもよくなるし、のんびりゆったり暮らせる…ようにはなりませんか?

広告社会から寄付社会へ。広告はアトム化した消費者に対して有効だけど、たんなる消費者ではない、お店(や社会)を支える成員になったら、そこには固定的・継続的・安定的な関係、「つながり」が大事なので、寄付が有効と思う。継続的に商品やサービスを購入し続けるという行為も含めての、寄付的関係。

<イオンに関して書いた過去記事>
昔ながらの商店街とアトム化した僕ら
イオンが赤字に転落する理由
出口は必ずある。目の前にないと見えないだけ。
群馬発、大型ショッピングモール過当競争の行く末は?
寂しい「お客様」 - 分断された生産者と消費者
中世ヨーロッパのような城塞都市化する日本社会
シャッター通り商店街には「ぶらつき指数」を!
牛丼屋の変貌と消えゆく場末空間

⇒この記事をふくむカテゴリー [ fratdrive日記 ] もどうぞ。
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