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2008年12月16日

「タダが当たり前」の時代は終わった

[ 投稿者 : fratdrive ブログ : [ f ]ふらっとどらいぶログ カテゴリー : news ]

「終わった」と言いたい。
「広告収入で成り立たせる無料モデルは、もう限界だ」――カフェスタの上澤馨(うえさわかおる)社長は言う。「広告モデルはバブルが作ったモデルだった」と。
無料の人気サービスで大きな赤字が出ていたり、利益がほとんどないというケースは少なくない。ユーザーがサービスの運営を心配したり、自らサービスを支えていこうという動きも出ている。
「無料でどうぞ、という時代は終わる。無料で続くサービスというのは、何かの広告塔でもない限り、経済原則上ありえない。カフェスタのサービスにコーヒー1杯分ぐらいの価値を感じてくれるなら、月額315円(パスポート会員の会費)ほど支払って一緒にサービスの満足度を上げよう、と考えてもらえないだろうか」
「金もうけしようとは思っていない。サービスを維持し、より良いものにしたい」と上澤社長は繰り返す。「サイトを愛してくれる人とともに進みたい。『100円でも高い、それだけの価値がない』と思うユーザーにはもう何も言えない。ほかのサービスを使ってもらうしかない」
[ 「タダが当たり前」の時代は終わる? カフェスタが「お金払って」と呼び掛けた理由 ]
タダを成立させるには、マスな消費者が必要。つまり、ぼくらは「マスな消費者」という、いわば「カオナシ」的存在と化すことによってタダを手に入れているのだといえる。「おまえらそろって十把一絡げな存在に成り下がったらタダでサービスしてやる」といわれているようなものだとも思う。

これまでも、手を変え品を変えて言い続けています。↓

「ネット無料文化」は、消費者優先のなれの果て。消費者優先といいながら実は「マスな消費者」すなわち「十把一からげ」的な顔のない存在すなわち「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」みたいな扱いを生産者サイドは実はしていて、その疎外感がネットイナゴだったりクレーマーだったりの私利私欲的正義の噴出という事態になっていると考えると、日本人はおとなしいから暴動なんか起こさないと思われていますが実は散発的に暴動が起きているんじゃないかともいう気もします。
そんな不毛な関係から脱却し、
(消費者→生産者)ちゃんとした対価を支払う
(生産者→消費者)顔のある存在として認知する
…という関係を築き、価値のある情報を核にした一種のコミュニティを形成することが、これから求められる枠組みなのではないかと思ったりします。
「タダより高いものはない」という言葉通りなのかもしれません。
[ 嘘で固めたインターネットと消費者の暴動 - 『情報崩壊バブルの崩壊』(山本一郎) ]
体温が届く範囲内、適正規模のコミュニティが、いわゆる持続可能な社会のベースではないかと思ったりもする。
[ 会員制の魚屋「浜どんど」 ]
「寄付」という「こころざし」で互いにちょこっとづつ支えあう社会になればいいんじゃないかなと思っています。たんなる消費者でもなく生産者でもない、神様でも僕(しもべ)でもない、コミュニティという名の村の成員としての関係をめざしています。
[ [寄付]ボタン設置 ]
ぼくはマスな構造に立脚した生産と消費の関係はすでに20世紀の遺物だと思っていて、これからは、コミュニティがささえる社会、コミュニティがささえる経済という時代になると思っている。ぼろ儲けの一攫千金を狙って同じ頂上に一目散に駆け上がるようなのは古くて、たとえば、適正規模の商圏があって、そこに住む人たちが、町にある一軒の酒屋さんを支える。商圏が一定だから、売り上げは増えもせず減りもしない。でも、酒屋さん一家がつつましく暮らしていける程度の売り上げはある。そのつつましい暮らしを支えるために、誠実な商売をする。住民も、少しづつ売り上げに貢献することで、その酒屋の経済を支える。そんなささやかな支えあいが、あちこちにあって、互いに支えあって、みんながつつましく、ほどほどに暮らしていける。社会主義のような制度ではなくて、あくまでこの資本主義経済のなかで、そういった支えあい社会が主体的に生まれる。それがこの社会のいろいろな問題を健全化していくと思う。
[ なんのために伝えているのか ]
コンスタントな販売がないとおいしい豆の供給ができないということだから、いわば、ここのお店の味を、ぼくら馴染み客が支えているともいえる。ただの消費者ではなく、みんなで少しづつ生産者を支えている存在だともいえる。
[ 書いてはいけない - ふらっとブログ ]
大量生産・大量消費の企業社会ではなく、インターネットを基盤にした次世代の社会は、コミュニティがキーワードとなる。コミュニティとは、山村のようなものだ。そこに一軒のよろず屋がある。生活に必要なものを、村人はそこで買っている。村の人口は少なく、よろず屋の経営は楽ではない。老夫婦がそこそこ生活できる程度の収入しかないが、よろず屋を切り盛りするその老夫婦にとっては、自分たちが大儲けすることなどまったく念頭にない。ただ、村人の役に立っていること、店をおとずれるなじみの面々の笑顔が見られれば、それでいいのだ。
村人たちも、そんな老夫婦の気持ちをよくわかっているから、自然と足が向く。車で1時間ほど飛ばせば、もっと安いスーパーはあるのだけど、たいていはよろず屋で買い物をする。自分らにとってそのよろず屋がどんなに大切か、わかっているからだ。もし、よろず屋が深刻な経営難に陥ったら、それを知った村人は、自発的な募金に回るだろう。老主人が倒れたら、交代で店番に立つだろう。そうしてその店を、みんなで守ろうとするだろう。それはよろず屋の老夫婦のためだけではない、村のみんなのためだから。
[ コミュニティが支える社会へ ]


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