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2008年10月12日

どうしようもないわたしが歩いてゐる(種田山頭火)

[ 投稿者 : fratdrive ブログ : [ f ]ふらっとどらいぶログ カテゴリー : fratdrive日記 ]

山頭火といえばラーメンのチェーン店を思い浮かべる人が多いでしょう。ぼくも美瑛店で初めて食べて「うまい!」:-Pと感じ、原宿店で食べて「まずい!」=:[と感じ、暖簾分け店(?)で食べて「…」:-(と感じ。カップラーメンはおいしかったんだけど気がついたらレトルトがなくなっててショック:*o*:

で、自由律俳句の俳人、種田山頭火。あることがきっかけで興味を持ち、先日、ちくま文庫の『山頭火句集』を買って読んでいます。

いちばん気に入っているのがコレ。

どうしようもないわたしが歩いてゐる

実際、種田山頭火って、どうしようもないひとだったようです。
昭和9年5月22日の日記には次のように書いている。
「煩悩執着を放下することが修行の目的である、しかも修行しつつ、煩悩執着を放下してしまうことが、惜しいやうな未練を感ずるのが人情である、言ひ換えると、煩悩執着が無くなってしまへば、生活─人生─人間そのものが無くなってしまうやうに感じて、放下したいやうな、したくないやうな弱い気を起こすのである。」
山頭火にとって煩悩執着は人一倍つよく、放下に及ぶまでには至らなかったようである。ために行乞途上においても人間味たっぷりで、ときには世間的にひんしゅくを買う愚行をしでかした。無銭で大酒を飲んだり、果ては女を買うこともあったから評判は悪い。これは僧侶の身にあってはならぬこと。破戒だ、破戒だ、とみずからも慙愧にたえず後悔する。が、大真面目な持戒の生活は長続きせず、いわば自戒、破戒、懺悔、自戒へと繰り返すサイクルの中で、山頭火の俳句は生まれていったともいえる。
〜『山頭火句集』解説(村上護)
でも、この「どうしようもない」山頭火が残したものというか、伝えたものというか、それを考えると、どうしようもない人間にも意味や価値があるということになる。とすると、じゃオレもワタシもどうしようもないままでいっか、と現状肯定的な気分になったりするのだけど、それは良し悪しだなあと思ったり。

ほかに、彼のこんな句がぼくは好きです:heart:

この旅、果もない旅のつくつくぼうし

まっすぐな道でさみしい

こほろぎに鳴かれてばかり

涸れきった川を渡る

分け入れば水音

すべってころんで山がひっそり

あの雲がおとした雨にぬれてゐる

こんなにうまい水があふれてゐる

酔うてこほろぎと寝てゐたよ

孤独な旅の情景と心情が浮かんできます。ときにユーモラスなのも好きです。
なんでも、自由律というのは短ければ短いほど、いいんだそうで。ではぼくも一句。秋になってもつい先日までセミが鳴いていましたが、それを詠んでみました。

きょうもまだセミの鳴く夕暮れ
(作:2008-09-08)

…まだまだまだまだ、ですね:ase:



※注1:自由律句とは、自分がどうしても衝動的に語りたい・聞いてほしいと思う感情を、一気に言ってのける程度の短い一行の韻文の詩型のこと。なのだそうです。

※注2:青空文庫でも山頭火の句が読めます(印刷物のが雰囲気ありますけどね)。

■関連リンク追記(2008-11-01 10:42):「自由律俳句クラブ 群妙」ホームページ

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