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2008年08月24日

ひとりじゃない強さ(反自己責任論)

[ 投稿者 : fratdrive ブログ : [ f ]ふらっとどらいぶログ カテゴリー : fratdrive日記 ]

北京五輪でメダルをとった人たち(日本人)が、「これはみんなでとったメダルです」「先輩方の積み重ねの結果です」といった感じで、支えた周囲への感謝、伝統への敬意といったものを口々に語っていたことが印象的だった。

あれは、「自分のことは自分で決めろ、自分で決めたことには自分で責任をとれ」という、そういわれればおっしゃる通りと思える自己決定論、自己責任論の否定ではないかと思ったんだけど。。。

役割。いまのNHK大河ドラマ「篤姫」では「役割」という言葉がしきりと出てくる。それには制作者の思いが込められているのではないかと思う。役割というのは、ときに「自分らしく生きる」を邪魔する。なんだけど、自分らしくなんて、たんなる妄想ではないのか。子どものわがままではないのか。
(好き勝手にやってるボクがこう言うことは、変なんだけど。。。)

で、ぼくらが力を発揮するには、お互いに支え・支えられる関係が必要なのではないか。言い換えると、お互いに迷惑をかけられる関係。

一時、「頑張れ」が批判されたことがあった。「『頑張れ』と言わないで」といったように。それが負担、重荷だと。でも、オリンピック選手(に限らずスポーツ選手)は、「頑張れ!」の声援を力に換えて強くなる。ぼくらは「頑張れ」と言うべきではないのか。「頑張れ」という声に応えるべきではないのか。

もちろん、役割をまっとうすることが常に正しいとは思わない。誤った役割の果たし方、誤った「頑張れ」も、歴史をふりかえるとあったと思う。

だけど、自己決定論、自己責任論が当たり前のように語られ、アトム化した現代日本社会において、ぼくらが手にしなければいけないのは、人に頼り・頼られるという関係性ではないのか。

ぼくらは弱い。自分で決めて自分で責任をとれるほど強くない。イチローとか中田とかのスーパーヒーローではない。それでいいのではないか。ぼくはかつて親に「迷惑をかけない人間になれ」と言われたけど、ふりかえってみると、いろんな人に迷惑かけっぱなしだ。

もちろん、迷惑はかけないにこしたことはない。自分で決めるべきことから逃げ、責任から逃れ、人に甘えて生きることを推奨するつもりはもちろんない。

だけど、たとえば…。小さなわが子に「いってらっしゃい、がんばってね、お父さん」と送り出され、張り切って仕事に行くお父さん。小さなわが子は、弱い存在なんだけど、お父さんの力になっている。お父さんの業績は、お父さん一人のものではない。みんなのものだ。だから、お父さんが決めたことが悪い結果を招いたとしても、お父さんは「おれの責任だ」と一人で背負う必要はない。みんなで背負えばいい。

困ったときはお互い様。「おれが決めたことなんだし誰にも迷惑をかけてないからいいだろ」と他者を拒むのは、一見、至極まっとうに聞こえるんだけど、たぶん、ひとりでできることなんて限られている。

参考:内田樹氏の『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』


※ここんとこ忙しくて、乱文ですいません。

■関連記事:
モンスターはもう古い(あるクレーマーの告白)
生活習慣は子どもの脳に生理的影響を与えると考えられる。

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